天正11~明暦 3:京都の生まれ。江戸時代初期の儒学者。名は信勝・忠、字は子信、通称は初めは又三郎、後に道春という僧号で呼ばれる。羅山は儒学者の号で、師の藤原 が命名した。幼児から学才を示し、13才で建仁寺に入るが僧にはならず、22歳の時 に入門し、朱子学に関心を深める。徳川家康に学識を認められ以降4代の将軍に歴任し、侍講を勤めるとともに、幕府の文書整理、儀礼典礼の調査、外交交渉などに手腕をみせ、また故事旧記の調査・編纂・出版などを行った。寛永6年には法印に叙せられる。漢詩の詩作も多く、書も独自の書風を確立した。