永禄元~寛永14:刀剣の鑑定・研磨・浄拭を業とする本阿弥家別家光二の長男。父没後、家業を継ぎ、加賀前田家の禄を受けたという。家業の他、絵画・蒔絵・陶芸にすぐれた才能を発揮し、あわせて茶道・築庭・書道にも長じた総合芸術家。近衛信伊・松花堂昭乗と共に、「寛永の三筆」の一人に数えられる。晩年は徳川家康から拝領した洛北鷹峯で芸術村を営み、国宝「不二山」をはじめ多くの名碗を作陶する。号は自得斎・徳友斎・大虚庵。