文化12~明治20:金沢に生まれる。本姓は牧野氏、幼名を小太郎、長じて義市、のち平喜と称する。代々仏師の家柄で、修業のため京に上り、片岡友輔について彫法を学ぶ。18歳のころ金沢に帰り家業を継ぐ。明治13年、京都大谷本願寺阿弥陀堂の建築彫刻には、石川県から選ばれて参加したほどの名工として知られる。