慶応3~大正8:小松に生まれる。生家は彫師で、少年期より木彫に優れる。明治23年第3回内国勧業博覧会に出品し、その技術が認められて、石川県工業学校彫刻科教員となる。26年渡米し、翌年創立された富山県工芸学校へ納富介次郎に招かれ、のち同校校長心得に就任し、富山県の美術工芸界に大きな功績を残した。