明治12~明治24:明治12年、九谷本窯の再興をめざす石川県令千坂高雅に資金を貸与された飛鳥井清が、山代の塚谷竹軒、大蔵寿楽の窯を譲り受けて設立。総支配人に竹内吟秋、陶工部長に塚谷・大蔵、画工部長に浅井一毫があたる。翌年初代諏訪蘇山を招聘するなど隆盛に向かうが、16年大聖寺の大火による本社焼失を境に社運は傾き、24年解散。