はじめ景昇斎と号し、のちに昇斎。人物表現に滑稽味が強く感じられるのが特徴。また画風が三代歌川広重に似ているところから、初代広重の弟子広景と後の名とする説もあるが、詳細は不明。明治4~5年に作品がみられ、その画風は京都四条派の影響が強く、鉄道錦絵にも伝統的な名所図がとりいれられている。