初代豊国の弟子で初代国貞、のち弘化元年(1844)師の名を継ぎ豊国となった。豊国門下の最逸材として早くから活躍し、役者絵、美人画、挿絵などあらゆる分野で業績を残している。幕末、江戸浮世絵界のドンとして君臨した。号は一雄斎、五渡亭、香蝶楼など。