町人の子として江戸に生まれる。10代半ばごろに浮世絵師・北尾重政に師事し、北尾政美と名乗り著名な戯作者山東京伝(北尾政演まさのぶ)や窪俊満とともに、重政門下の三羽ガラスとして活躍する。津山藩松平家のお抱え絵師となり、画号を蕙斎とする。寛政9年(1797)には、狩野派に入門して伝統的な画法の勉強もし、姓を鍬形、号を紹真(つぐさね)と改める。