明治27~昭和44:金沢市に生まれる。本名蔵太。石川県立工業学校図案絵画科中退。その後上京し、大正3年第8回文展に「長月の朝」が初入選。11年前田家の委嘱により、紫野大徳寺塔中芳春院什物「伝相阿弥筆文殊菩薩」を臨模献上。関東大震災の後金沢へ帰り、金城画壇設立に参加。画壇の中心人物となって活躍する。父は木彫家の相川松涛。昭和44年没。