初代魚住為楽ウオズミイラク01

明治19年~昭和39年 (1886~1964):小松市に生まれる。本名安太郎。大阪の仏具製造師山口徳蔵に師事。昭和10年帝国美術院長正木直彦に指導を受ける。11年改組第1回帝展に銅鑼が入選。文展に出品ののち、30年第2回日本伝統工芸展まで展覧会出品を控える。27年銅鑼で国の助成を講ずべき無形文化財に選定され、30年銅鑼で重要無形文化財保持者に認定される。