九谷庄三クタニショウザ

文化13~明治16 (1816~83):能美郡寺井に生まれる。初名庄七。小野窯の陶画工として従事し、粟生屋源右衛門の影響を受ける。洋絵の具による中間色の絵付けに金襴手を加味した多彩かつ華麗な描画の「彩色金襴」の技法を確立し、海外へ大量に輸出される。九谷焼の名を内外に広め、現在の産業九谷の基を築いた功績は大きい。