慈鎭(慈円)ジエン

久寿 2~嘉禄元:鎌倉初期の天台宗の僧・歌人・史論家。父は摂政藤原忠通、母は藤原信光の女の女房加賀。11才で延暦寺に登り青蓮院門跡に入る。13才で出家し道快と称して密教を学ぶ。同母の兄の摂政兼実の推挽により37才で天台座主となり、天皇の御持僧となる。養和元年(1181)法印に叙され慈円と改め、仏法興隆と公武の協調を祈り祈祷の生涯を貫く。 謚は慈鎮。慈円の学統は台密三昧流をくんで山門仏法の正統を任じ教学の著も多い。『愚管抄』を表し、また歌人としても『新古今和歌集』撰進のための和歌所の寄人にも加わる。家集に『拾玉集』がある。